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音楽歴7 暗黒時代 [連載読み物]

5年ほど前に連載した自分の音楽歴。感動を受けると共に作曲への原動力となってきたアルバム/アーティストを書いてきました。とても久しぶりに続きを書いてみます。時代は1990年代前半です。

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前回までは多感な中学生から社会人の新人時代(20代前半)のお話でした。そこから数年は作曲の他にバンドもやっていて自分的には音楽三昧でした。しかし、世界は変わっていきます。1990年代に入りロック界に激震が走ります。

その頃、自分が好きだったヘビーメタル系は普通のポップス・チャートに入るほどの繁栄を極めてたのですが、1990年代に入り一気にブームが終焉します。ニルバーナのような退廃的なロックが一気に広まり、メタルや速弾きを主としたリード・ギターは一気に古くてカッコ悪いものとなってしまいました。

当時、好きだったメタリカも時代の空気を読んだようにガラッと作風を変えた”Metallica”(通称ブラック・アルバム)を出しました。当時の自分は「なぜ、こんな曲を!」と憤慨しました(今ではその良さも十分に理解できますが)。

まさに暗黒時代でした。好きだったバンド達も新譜が出しにくくなりライブも激減しました。たまに新譜が出ても、どのバンドも時代の流れに右往左往しているのかガッカリする完成度が多くなりました。

そんな中でも元Helloweenのリーダー&ギタリストのカイ・ハンセンが結成したガンマレイ(Gamma Ray)は、ハードさを失わず普遍的な良い曲を作っていて、暗黒時代にあって唯一安心して聴けるバンドでした。

“Heading For Tomorrow” Gamma Ray
71 Heading For Tomorrow

そして、言うまでもなく日本のトップ・ギタリストの布袋 寅泰。ソロになってからシンセサイザーを多用するなど実験的なアレンジを初めました。エモーショナルなギターはもちろんですが親しみやすい歌物の曲が大好きでした。

“Guitarhythm II” 布袋 寅泰
72 Guitarhythm II

暗黒時代に影響を受けたわけではないですが、自分自身も1998年の2ndアルバムの完成を期にギターをやめてしまいます。世の中も自分自身もギターの時代は終わりました。

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宅録史19:四半世紀ぶりにMacを刷新しろ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。久しぶりの続きは現状のシステムの紹介です。

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前回、ボカロを導入して念願の歌ものの曲の制作を始めたところまで書きました。30年以上かけてやりたいことができるシステムにたどり着いたのですが、その間にPC(Mac)が骨董品となってしまいました。すでに互換性のある機材もなく、もし壊れたら終わりと言うスリリングな古いシステムです。もちろん、今時の音を作ることも難しい。

仕事を退職して時間が取れるようになり、Mac miniを購入してLogic Proの習得を進め、また、ADAT4系統のデジタルI/OをもつRME Digiface USBとMIDI入出力8系統のESI M8U eXを購入しシステムを刷新しました。

宅録史_19a

Logic Proのみでも作曲・録音のほぼすべてのことができてしまいますが、いきなりすべてを変えるのはストレスも多いし、既存の機材も使いたいので徐々に移行にすることにしました。そこで、ミキサーのYAMAHA 02RをAudio I/O兼モニター用ミキサーとして継続使用することにしました。

宅録史_19b

オーディオ信号の流れはちょっと複雑です。シンセや録音のギターなどのアナログ音源は、今まで通りに02Rに入力しデジタル変換しますが、02R内ではミックスせずダイレクトアウトでMac内のLogic Proへ入力します。

また、録音・アレンジ中のLogic Pro各トラックの音は02Rへパラアウトして、モニター用として02R側で音量やミュートなどを調整します。このミックスはあくまでも録音・アレンジ中のモニター用でミックスダウンはLogic内で行います。

宅録史_19c

Logic Proで最新の機能を使える環境ですが、従来の機材もシームレスに使えるシステムとなり、とても使いやすい環境になりました。

 今回の機材:Mac mini(M1)、Logic Pro、RME Digiface USB、ESI M8U eX

 今回の教訓:PCの進歩は凄いけどやってることはあまり変わってない

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宅録史18:とうとう歌物を作れ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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長らく続いたこの連載も今回で最終回です(2023.05.23 再開しました)。カセットテープのダビングから始まった曲作りのシステムは、やっと現在に通じるPC(マック)内でのデジタル編集に加えてPCでボーカロイドを歌わせる時代にたどり着きます。

無事に作曲もギターも腕前が元に戻り、4thアルバムを完成させました。ただし、すでにCDの時代でもないですし、このブログを始めネットでの活動に移ってきたので5thアルバムの製作は視野になく、今後はその都度作りたい曲を作ろうと思いました。

で、しばらくはギターの表現力を上げようと、ギター中心のカバー曲を録音してましたが時機に飽きて、本当に作りたい曲を作ることにしました。そうです。初めて買ったMTRであるTASCAM PotaOneの時にチャレンジしたポップでロックな女性ボーカルの歌ものです。それを実現するためにボーカロイドのMEIKO V3を買いました。

ボカロ自体はすでに前から知ってましたが、アイドル系(声優系)が主で、自分のロックな曲には合わないと思ってました。諦め切れずに調べてみつけたのがMEIKOのキャラクターでした。十分にロックが歌えるボカロと知り購入しました。

ただし、問題はどうやって使うかです。自分の骨董品のマックでは動作するはずもなく、今度こそ機材を一新する時が来たと思いましたが、とりあえず、ボカロの製作過程のみ家族共用のWindows PC(こちら)でやってみることにしました。およその伴奏が出来たら、音声データーでWindowsへコピーして、それに合わせてボカロを調声、完成したら今度はボカロを音声データーへ変換してマックへコピー、そしてアレンジを仕上げて曲の完成です。

宅録史_18

マックとWindowsでやり取りがあるので面倒くさいかと思いましたが、これがなかなかやりやすい。Windowsがたまたま高性能なノートPCなので、どこでも出来て便利ってのもあります。で、またまた機材の一新はせずに、すでに20数年も前の機材でトラブルもなく42曲のボカロ曲を作りました。

と言うことで、40年弱に及ぶこの連載はこれで終わりです(2023.05.23 再開しました)。この後は現在進行中です!


 今回の機材:Vocaloid MEIKO V3

 今回の教訓:継続は力なり
     (この年になると身に染みる言葉ですね)

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宅録史17:音楽活動を再開しろ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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前回の3rdアルバムの製作でやり切ったと同時に力尽きました。3rdアルバム制作前には、すでにギターを弾かなくなってましたが、これで作曲からも手を引いて、音楽は単にリスナーとして聴くだけとなりました。

たまにアコギをポロポロと弾くことはありましたが、音楽制作からは約9年間遠ざかってました。音楽制作を再開したのは、月並みですが東日本大震災を機にです。やはり、いろいろと思うことを表現するのに自分にとっては作曲かなと思ったためです。

で、埃をかぶっていたマックや機材のスイッチを入れたら、すべて無事に動きました。多くの機材は購入から約14年以上経過しており、すべてが時代遅れの機材となってましたが、長いブランクで作曲能力も落ちているし、ギターを弾くにも指が動かないしで、まずは試しにそのままの機材でやってみることにしました。

4thアルバム制作を目標に再開したのですが、3rdアルバムのテクノ的な曲調ではなくて、アコースティックな曲にしたいと考えました。しかし、それに合うリアルな楽器の音が出るシンセがないのが問題でした。古いマックには最新のソフト・シンセを動かす能力はないので、とりあえず中古で単体のシンセ、Roland XV-3080を入手しました。

宅録史_17

こんな感じで再開して、長いブランクを克服したらマックを始めすべての機材を刷新しよう、、、と思ってたのですが、結局、このシステムのまま、4thアルバムを完成することになりました(こちら)。骨董品のようなシステムですが、自分がやりたいことは十分に出来る、、、ってことだと思います。

 今回の機材:Roland XV-3080RODE NT1-A

 今回の教訓:弘法筆を選ばず
     (って言ってみたけど、
       機材を買い替えると習得が大変なんですよね)

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宅録史16:作曲システムを完成しろ [連載読み物]

久しぶりに自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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当時、PCの世界では急激な性能向上が始まりました。実は、前回買った自分のマックは、性能の要であるCPUをボードで入れ替えることが出来るため、CPUボードの値段の下落を待って入れ替える事を当初から計画済みでした。今までマック内では2トラック程度の再生しかできなかったのですが、これにより、10数トラックの再生が可能となりました。自分が作る曲では十分なトラック数で、これで常に悩まされたトラック不足から解消されました。

また、使える数は限られますが、マックの内部でソフトウエアのシンセやエフェクターを使う事も出来るようになりました。これらはハードウエアの機材を買うより桁違いに安いですし、フリーソフトも多いのでふんだんに使える環境となりました。特に、古いアナログ・シンセをシミュレートしたソフトの音は、自分にとっては中学時代の憧れの音そのものでした。

トラック数に余裕が出たこともあり、MIDIの打ち込みでのコントロールが難しい古いシンセ(CASIO CZ-1000、KORG POLY-800)もマック内へ録音してから、打ち込みの代わりにデジタル音声で編集することができるようになり、これも活躍できる環境になりました。

ただし、現在のようにPC1台でミックスダウンまで完結できるほどには、PCの性能は高くなく、すでに購入済みのデジタルミキサー(YAMAHA 02R)との併用のシステムとしました。すべてのデジタル音声とMIDIの打ち込みがマックから再生され、02R側でデジタル音声とシンセからのアナログ音声をミックスするシステムとしました。フェーダーやダイヤルを視覚で確認出来て、実際に手で調整できる02Rのメリットを生かしたい気持ちもあり、無理してPC内で完結するシステムとはしませんでした。

宅録史_16

このシステムで3rdアルバムを製作しました(こちら)。すでにギターは弾いておらず、自分としては中学生の頃に夢見たシンセやボコーダーのボーカルが主となるテクノ的なアルバムが完成しました。やりたかった事をやり切った自負はありますが、何でも出来る高度なシステムなだけに、とにかく緻密に作り込み過ぎてしまいました。結果には大満足でしたが、5年もの歳月をかけてしまい体力的にも精神的にも限界でした。

そして、完成と同時にギターに続いて作曲活動もギブアップしてしまうことになります。無理し過ぎて燃え尽きたことと体がもたないと感じたためです。その後、宅録を再開するのは10年後になります、、、。

 今回の機材:XLR8 MACh Speed G3 400、Sonorus StudI/O

 今回の教訓:やり続ければいつかは到達する
       (けどやり過ぎると力尽きるよ)

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宅録史15:デジタル化を始動しろ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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しばらくの間、ギターの録音が不要なGM曲の制作を行ってましたが、それによりギターを弾かなくなり腕前が落ちてきました。元々、曲作りのために始めた事もありギターにはあまり執着はなく、打ち込みのシンセが主となるにつれて、そろそろ弾かなくなるかなとも思ってました。

元々、シンセが好きで作曲を始めた事もあり、そのままシンセを主とした曲作りへ移行しても良かったのですが、何故か腕が落ちてギターが弾けなくなる前に演奏をアルバムに残したいと思い始めたのです。デジタル機材を買うには値段的にはまだまだ時期尚早でしたが、この思いが強くなり、一気に機材の購入&刷新に進みました。

かなり無理をしましたが、30代で仕事中心の生活もあり余暇に使える時間は少なく、デジタル化で効率を上げる必要もありました。時間を金で買う気持ちも強かったです。また、ギターを弾かなくなった後も睨んでのシステム構築となりました。まだ、PCのみで音声を扱える時代ではなかったので、かなり複雑なシステムとなり、結果として軽く100万円を超える投資になりました。

まず、マックを新調しましたが、当時のPCはまだデジタル音声を扱える能力はありませんでした。音声を扱えるボードを買い足して内部に刺し、何とかステレオ(2トラック)の音声の録音と切り貼り程度の簡単な編集が出来るようにしました。自分のギターの録音の他に、サンプリングCDから取り込んだドラム、ベース、ボーカルなども細かく切り貼り編集をしてトラックを作っていきました。これで、新たにシンセを買わずに音のクオリティーを上げることが出来ました。

マックでは複数トラックを同時に再生で出来ないので、マルチトラックのデジタル音声は、16トラックのハード・ディスク・レコーダー(FOSTEX D-160)と40チャンネルのデジタルミキサー(YAMAHA 02R)が主となりました。マックで1パート毎に録音&編集してはD-160へコピーして、すべてのトラックが揃ったら、D-160で再生し02Rでミックスダウンをするシステムでした。

宅録史_15

複数の機材でデジタル音声が行き来するので、システムも操作もとても複雑で、今思うとよく素人の自分で出来たと思います。これで、当時の自分のギター演奏の集大成となる2ndアルバムが完成しました(こちら)。これでギターから卒業し、この後はギターを弾かないことになります。

 今回の機材:Power Macintosh 7300/166、Degidesign AudioMediaⅢ、YAMAHA 02R、FOSTEX D-160、YAMAHA REV500

 今回の教訓:大人は時間を金で買うべし

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宅録史14:電脳音楽を作れ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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マックとVisionの導入で複雑化したMIDIの打ち込みのアレンジにより、カセットMTRでの録音作業は膨大な時間がかかるようになってしいました。いずれ来るであろう音声のデジタル録音用の機器が低価格化するまで、MTRを使用した曲作りを中断することにしました。

そして、路線変更をして手をつけたのはGeneral MIDI(GM)規格の曲作りでした。GMはシンセが変わっても曲の再生が可能となるように、シンセの音色の規格を統一したものです。これと、Standard MIDI File(SMF)と言うシーケンス・データーの統一規格を用いて曲を作れば、パソコンのデーターとして広く曲を配布することができます。当時は、デジタル音声は容量が大きくネットでの転送が難しかったこともあり、代わりにSMFは広く普及していました。今でも拡張子がMIDのファイルとして存在していて、シンセがなくてもムービープレイヤー等で再生が可能です。

GMの音源としてはスタンダードであるRoland SC-55Ⅱを買っていたこともあり、MTRを使わない作曲としてはちょうど良い選択でした。しかし、自分はギターを録音することが主だったので、ギターなしのシンセのみの曲作りは苦手でした。そこで、打ち込みの作業の向上のため、ギターMIDIインターフェースを買いました。これは、ギターに専用のピックアップを装着して、ギターの演奏をMIDI信号に変換してシンセを鳴らす機材です。

宅録史_14

これらを使ってGM曲を作り始めました(こちら)。迫力のないチープなGM音色で曲を作るためには、それなりのアレンジが必要でした。流行ものの16ビートっぽいリズムなどにトライしたりと改めて勉強もしました。

しかし、MIDIだけで曲を作るというのは楽なことであります。何度も録り直しが必要なMTRでの録音作業が不要なので、あっという間に曲が出来てしまいます。このため、ますますMTRから遠のいてしまいました。この時完成したGM曲は、シンプルで良い曲が多いですが、やはりギターがないと自分の曲ではないのような気がします。

 今回の機材:Roland GI-10


 今回の教訓:苦労をしないと報われない

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宅録史13:2ndアルバムを作れ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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何とかシーケンス・ソフトのVisionを使いこなせるようになり、早くもセカンド・アルバムの製作を考えました。前作で自信をつけたので、どうせ曲を作るのなら、どんどん発表しようと考えたのでした。

前作は、なるべく多くの人に理解してもらおうと思ったので、自分としては曲調がちょっとおとなしめでした。そこで、次作はハードなギターを入れた曲調にしようと思いました。Visionを手に入れて、ハードなギターに合うバンド的な(人間的な)ドラムも打ち込めるかと思ったのも理由です。そこで、さっそく2曲作りましたが、すぐに挫折しました、、、。

8TrMTRによる作業効率アップと同様に、MIDIの打ち込みの効率アップを考えて導入したVisionでしたが、結果は、打ち込みが独走してしまいました。Visionを使うことによって、今まで出来なかったような複雑なアレンジがあっと言う間に出来るようになりました。その反面、MTRの録音は融通が利きません。当たり前ですが、録音してしまってからアレンジを変えようとしたら、また録音し直さなければなりません。

実際にこの時に製作した2曲は、複雑な変拍子の曲と、オーケストラのように多くのギターが重なった曲でした。Visionで作った複雑なアレンジにMTR側の録音パートがついていけなくなりました。

もう一つ問題なのは、シンセ(MIDI音源)のクオリティーです。録音機材にお金がかかるのでシンセ類までは手が回りません。ありあわせのシンセ(U-220VZ-1)では、前作と同じような音になってしまいますし、また、どんなに凝って人間的なリズムを打ち込んでもドラムやベースの音色がしょぼくてリアルには程遠かったのです。

宅録史_13

録音にしても音色にしても、作業の効率と音のクオリティーを上げるためにはアナログからデジタルへ移行するしかありませんでした。今でこそ、音声(オーディオデーター)をデジタルで録音したり複雑な編集をすることはPC内のアプリで簡単に出来ます。しかし、当時は、まだそのような機能は実現されてませんでした。

ただし、録音と簡単な切り貼り程度が出来る単体の機材が出始めてました。それはハード・ディスク・レコーダー(HDR)と言う機材ですが、まだ100万円は下らない時代でした。デジタルへの移行は避けられないと思いつつ、またしても値段が下がるのを待つしかない状態で、2ndアルバムの製作は中断を余儀なくされました。

 今回の教訓:機材はバランスが重要

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宅録史12:またまた勉強しろ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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マックを手に入れて、まず取り掛かったのは、またしてもクラシックでした。以前、学生時代に猛烈にクラシックを勉強しましたが、当時、楽器はギターしかなく、弦楽器曲やピアノ曲を作っても、演奏して録音することは不可能でした。複雑な演奏をマックでコントロール出来るようになり、シンセと打ち込みで何とかなるかと考えました。

そこで、クラシック系の楽器が鳴らせるシンセを買うことにしました。選んだのはGM規格の音源のスタンダードとして爆発的に売れていたRoland SC-55mkIIです。値段が安く音のクオリティーは低いですが、クラシック系の楽器が多く入っているので都合が良かったのです。

GM規格の音源は音色の配列が決まっている事から、他人と曲のシーケンス・データーをやり取りする事ができました。当時、まだインターネットはありませんでしたが、パソコン通信を始めていたのでデーターのやり取りに便利だと言う理由もありました。

そして、初心戻ってクラシックの勉強を始めました。今度は、バッハから時代を経てショパンなどをマックで打ち込んでコードなどを研究しました。そして、学生時代の作りかけを完成させたり、新たに作ったりで3曲を完成させました(こちらこちらこちら)。

クラシックの勉強の過程でマックを使いこなせるようになりました。MC-300に比べて飛躍的に効率が上がり複雑な打ち込みが出来るようになりましたが、逆に不満も多く感じました。一見、パソコンは何でも出来そうですが、その実、ソフトを買わなければ何も出来ません。やりたい事が出来るソフトがあれば良いですが、なければ簡単な事も出来ません。

例えば、シンセやエフェクターは、ボタンやつまみでやる操作はもちろん、つまみで出来ない裏技も、ほとんどすべてMIDIで遠隔操作が出来ます。となればパソコンの大きな画面でシンセをエディットしたり、シーケンサーで曲の途中に操作したりしたくなります。しかし、ソフトがなければそれまでです。

何でも作る事が好きなこともあり、ソフトも自分で作ることにしました。幸いマックには、「MAX」と言う音楽用の良いプログラミング・ソフトがありました。プログラム・コードを何千行も書かなくて済むと言う点では、比較的垣根の低いソフトでした。が、しかし、やはり、プログラム。難易度は作曲の比ではありませんでした。音楽から何ヶ月も道草を食うことになりました。出来たソフトの数々は商売もできるレベルだった気もしますが、かろうじて道草から戻り、音楽を再開することになります。

宅録史_12

 今回の機材:Roland SC-55mkII、Opcode MAX 2.0

 今回の教訓:なせばなる(が睡眠時間は限りなく少なくなる)

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宅録史11:電子化を始動しろ [連載読み物]

自宅録音の黎明期を語る自分史の続きです。

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オリジナルアルバム制作のための寝る時間も惜しんだハードな1年が終わりました。前後してバンド活動もやめて、今までの音楽活動に区切をつけました。そして、次にやる事は何年も前から決まっていました。それは、パソコン(マッキントッシュ=マック)を買うことでした。

8トラックMTRでの録音の技術が上がるにつれて、今度はシーケンサーの機能が追いつかなくなりました。MIDIの演奏も機械的で単調なものから、より人間的なもの、複雑なものを求めたくなりました。打ち込みでそれをやるためには緻密なデーターの修正が必要で、そのためには大きな画面で操作でき、データーの詳細を確認出来るパソコンは魅力的でした。そして何より、増加した機材のデーター管理や演奏時のコントロールなどの打ち込みのデーターが膨大になり単体シーケンサー(MC-300)では、2、3年前から限界が来ていました。

いつもの事ですが、当時、パソコンで音楽をやっている人は周囲にいませんでした。雑誌などの少ない情報を元に作曲に使える高機能の音楽用のシーケンス・ソフトは、マックにしかないことが分かりました。その中から「Vision」と言うソフトに目をつけました。画面がグラフィカルで、一番、分かりやすそうだったのが理由です。それを元にシステムを揃えることにしました。

当時、マックは50~100万もして高値の華でしたが、低性能の廉価版が出始めたので思い切って買うことにしました。しかし、安くなったと言っても高い買い物でした。マックがモニターとセットで30万、「Vision」が9万、MIDIインターフェースが7万。その後も、メモリーなど数万も追加投資が必要でした。

宅録史_11

それだけの投資をして夢のマックを手に入れたものの、あくまでも出来ることはMIDIの打ち込みだけです。現在のようにパソコンで音声を扱う機能が生まれるのは、まだ時代は後になります。しかも、その打ち込みも廉価版のマックでは性能不足で、かろうじて動作するレベルでした。今と違って(今もそうですが)、決して音楽用に作られていないパソコンを飼い慣らすのは至難の技でした。ハードに使いこなそうとすればするほど、固まってしまう画面に向かって苦難の歴史がまた始まりました。

 今回の機材:Apple Macintosh LCⅢ、Opcode Studio 4、Opcode Vision 1.4J

 今回の教訓:勉強する人のみにコンピューターに夢はある

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