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ハーモニーの歴史6 [連載読み物]

成り立ちの歴史からハーモニーをやんわりと解説するシリーズの続きです。

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第6回:響きの悪い音階は便利?

06_Tetrad
シの音を加えた4和音
シを半音下げた方が響きが良い
でも、綺麗な響きとは言えない?

3度のハーモニーを得てヨーロッパ音楽が花開きました。その多彩なハーモニーは、現代に受け継がれています。そして、さらに次のステップへ進みます。ただし、3度の次に狭い音程である2度へ進むのは、しばらく後です。3度のハーモニーは、今までのハーモニーとは異なり、音程を上に重ねていくことで進化をとげます。

前回、3度のハーモニーは、「ド、ミ、ソ」のように3音でハーモニーを作ることが出来ることを述べました。これを発展させると、さらに3度上に音を重ねていくことが考えられます。「ソ」の3度上の音は「シ」です。ただし、「シ」の音を重ねるとあまり良い響きがしません。使用する楽器の音色にもよりますが、若干にごったうつろいのある響きとなります。では、どうやって綺麗な響きを得るのでしょうか? 実際の演奏では、「シ」の音を半音下げてフラットになります。「シ」のひとつ下の黒鍵です。これで綺麗に響くでしょうか? 答えはYESともNOとも言えます。

3度の音を積み重ねていくことの理論的な説明は、「倍音」と言うものでなされます。「倍音」とは何でしょう。今、仮に何かの楽器で「ド」の音を1音だけ弾いたとします。この音は、音程、つまりある一定の音の周波数を持っています(例えば「ラ」の音はおよそ440Hzと決まっています)。ただし、電気的に合成したサイン波でない限り他の周波数の音も同時に出ます。ちょっと難しくなりますが、雑音でなく音程の取れた音の場合は、整数倍の周波数を持った音が多く含まれます。例えば、「ド」に対して2倍の音は1オクターブ上の「ド」、3倍の音は1オクターブ上の「ソ」となります。これをどんどん上に行くと、「ミ」や「フラットしたシ」が出てきます。これらの音が倍音です。つまり、3度の積み重ねによるハーモニーとは、自然に発生している倍音を強調したものとも言えます。

ところが、話は簡単ではありません。今日、われわれが使っている平均律と言う音階は、倍音から出てくる「ミ」や「ソ」や「フラットしたシ」とは微妙に音程が違います。よって綺麗に響きません。倍音に近い響きを得るためには、純正調などの古典的な音階を使わなければなりません。しかし、それらの音階は、特定のキー(調)では綺麗に響くものの、他のキーではより外れた音となり響きが悪くなります。よって、ピアノなどでは曲ごとにチューニングを変える必要があり実用的ではありません。その前に、曲の途中で転調があったら演奏できなくなってしまいます。

これらのずれはどの音程にもありますが、「シ」の音では顕著です。綺麗に響くのは「フラットしたシ」より僅かに高い音程です。よって、ピアノなどでは、「シ」にしても「フラットしたシ」にしてもさほど綺麗なハーモニーは得られないのです。

以上のことは、音程を自由に変えられる歌やバイオリンなどの楽器には当てはまりません。それらは平均律以外の中間の音を自由に出せるので、実際のアンサンブルでは、(熟練した演奏者の技によって)臨機応変に響く音を出しています。ロックでもギターなどはチョーキングと言う技で対応しています。多くの場合、オーケストラを始めとするアンサンブルに鍵盤楽器などの音程が固定された楽器が含まれないのはこのためです。


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ハーモニーの歴史5 [連載読み物]

成り立ちの歴史からハーモニーをやんわりと解説するシリーズの続きです。

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第5回:やっぱりド、ミ、ソ

05_Triad
上段:4種類の3和音
すべてのハーモニーの基本
下段:ドレミ~の音階につけた3和音
ダイアトニック・コードと呼ばれる基本的なコードです

ルネッサンス時代になり5度のハーモニーから3度のハーモニーへ移行が始まりました。3度のハーモニーは、いわゆる「ド、ミ、ソ」と言われる現代で普通に使われているハーモニーです。それまで不協和音と考えられていた3度のハーモニーが、長い年月を経て一般大衆の耳に慣れてきたと言えるでしょう。ちなみに、3度(転回すると6度)は、5度の次に狭い音程で、ハーモニーの歴史はまたワンステップ進んだわけです。

3度のハーモニーには、今までにない特徴があります。それは、「ド、ミ、ソ」のように3和音と呼ばれるハーモニーを作る事が出来る事です。「ド」と「ミ」、「ミ」と「ソ」がお互いに3度であり、同時に「ド」と「ソ」が5度になり3音が共存します。ただし、3和音が確立すると「ミ」を除いた5度のみのハーモニーは禁則となります。また、過去のハーモニーが追いやられたわけです。

さらに、4種類のハーモニーがあるので多彩な響きを作ることが出来るのも特徴です。例えば、「ド、ミ、ソ」と「ラ、シ、ド」では、響きが異なります。前者は明るく響き、後者は暗く響きます。これらは、3つの音の間に出来る2つの間隔の長短によって次のように分類します。

 長3度-短3度 メジャー(明るい響き)
 短3度-長3度 マイナー(暗い響き)
 短3度-短3度 ディミニッシュ(さらに暗い響き)
 長3度-長3度 オーギュメント(無機質な響き)

ピアノで言うと、長3度は黒鍵を入れて4つ上、短3度は3つ上になります。曲の中でメジャーやマイナー・コードは広く使われます。ディミニッシュは、「シ、ド、レ」の上にのみに現れます。その響きは陰鬱ですが、転調等のきっかけを作りやすく、使いこなせば多彩なコード進行を生み出す事が出来ます。オーギュメントは、シャープやフラットの臨時記号が出てこないと現れません。使い方もかなり限定されるので、多用されるようになるのは歴史的にもっと後になります。

コードの分類はかなり難しい話になりますが3度のハーモニーは、4種類の組み合わせで複雑で美しいハーモニーを生み出します。また、3音の使用が許される事により、「ソプラノ、アルト、テノール、バス」の4和声の形態が生まれます(1音足りないので同じ音がオクターブ違いなどで重複されます)。4和声でハーモニーを作る事は、弦楽器や管楽器も含め、その後のアレンジの基本となります。

3度のハーモニーを手に入れた西洋音楽は、それを武器としてバロック時代に爆発的な発展を始める事になります。


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ハーモニーの歴史4 [連載読み物]

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第4回:音程を狭めよう!

04_5th harmony
ドレミファ~上につけた5度のハーモニー
シだけ音程が音程が異なる
欧州の中世で生まれたハーモニー

男女の音域差から自然と1オクターブ(8度)のハーモニーが生まれました。多分、原始時代から続いていたであろうこの単純なハーモニーが、中世のヨーロッパで変化が現れます。8度よりも狭い音程でハーモニーを作るようになり始めました。

8度の次に狭い音程とは何でしょう。7度(ドとシの関係)だと転回すると2度になるので一番狭くなってしまいます。こう考えると、8度の次に狭い音程は、5度(ドとソの関係)です。転回すると4度です。中世ヨーロッパの教会音楽では、8度に取って代わって5度音程のハーモニーが採用され始めました。

しかし、現在のハーモニーと比べると実にシンプルで調性感も気薄です。つまり、どのキーで歌っているか分かりづらく浮遊間のあるハーモニーです。この調性間の少なさは簡単に説明出来ます。ドとソ、レとラ、ミとファと言うように5度のハーモニーを作っていくと、シとレ以外はどの音程も同じ間隔になります。ピアノで言えば、白鍵と黒鍵を合わせて数えて常に7個上の音になります(つまり、7半音上)。よって、メロディーにシの音が出てくるまで、ハーモニーはすべて同じ響きがするわけです。つまり、「コード」としては、シにつくコードとそれ以外の2種類しかないわけです。しかし、1オクターブ(8度)のハーモニーでは、コードは1種類しかなかったわけですから、2倍になったとは言えます。わずかながら多彩なコードを作る為の第一歩です。

この5度のハーモニーが確立されると、今まであった8度(オクターブ)のハーモニーは、「禁則」となります。5度のハーモニーの中に、8度が混ざるとあまりにも響きが単純で聞きづらく感じるようなるからです。このように、ハーモニーの歴史では、新しい響きが認知されると、過去のハーモニーは単純すぎて否定される場合が多々あります。ちなみに、現在でもハーモニーの一番上と下(メロディーとベースなど)がオクターブで同じメロディーを平行移動するのは「禁則」です。

同じように、新しいハーモニーとは、それ以前は不協和音であったものです。つまり、不協和音であるハーモニーが長い年月を経て多くの人が聴きなれるうちに、美しい響きと認識されるようになっていくのです。そして、今までのハーモニーは古臭くなっていきます。この歴史を考えると、不協和音か美しい響きであるかは、大衆の「耳の慣れ」の問題ともいえます。そんな訳で和音の理論は、理論と言うわりには例外が多く、分かりづらいのです。

そして、5度のハーモニーの後に長い年月をかけて3度(展開すると6度)のハーモニーに移行します。例えば、ド、ミ、ソのように、現在一般的なハーモニーです。ここまで来て、ハーモニーの世界は急激に開花します。

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ハーモニーの歴史3 [連載読み物]

成り立ちの歴史からハーモニーをやんわりと解説するシリーズの続きです。
 
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第3回:何オクターブ離れていても...

03_Interval
上段:音程の数え方
ユニゾンは1度、1オクターブは8度
下段:転回の例
ドが転回してド、ミ、ソがミ、ソ、ドへ
 
ポリフォニー形式の中で、試行錯誤を重ねながらハーモニーの理論が徐々に形作られていきました。今回はその初期の過程を説明しましょう。これからしばらくは話を単純にするために、ハーモニーではなくコードの話になります。まずは「転回」という概念の説明から始めます。

通常、曲は複数のコードを並べて作られます。曲の進行とともにコードとコードをつないで行くわけですが、この並び方には規則があります。これをコード進行と言って、その規則性を探ることがすなわちハーモニーの理論の初歩な訳です。ここで「転回」は、コードを構成する各音をオクターブ(1オクターブでも2オクターブでもいくらでも自由)上下に動かしてもコード進行における機能は変わらないと言う原則です。例えば、ソプラノの歌を2オクターブ低くしてバスの人が歌い、逆にバスのメロディーをソプラノ人が歌う、と言う事をすると曲は別物になりますが、コードは同じとみなします。

「転回」の概念は、中世のヨーロッパで発見され、その後のハーモニーの理論化の足がかりになります。「転回」により響きは変りますが、コードの役割は変わらずコード進行を分析する上では同一と考えます。これでギターで弾いてもフル・オーケストラで演奏しても「同じコード」になり、コード進行の理論がかなり楽になります。

クラシックでは「転回」によるコードの違いを厳密に別物として扱いますが、ロック、ポップス系では、気にしない場合がほとんどです。しかし、バラードなどでストリングスなどを厚く入れていく場合には、クラシック同様に「転回」の違いも重要になってきます。しかし、ここでは話を簡単にするために、当面は無視して説明しましょう。

では、ハーモニーの話です。ハーモニーのない音楽は、すべての人が同じ音程(ユニゾン)で歌う単純なものです。音程差は「1度」と言います(ゼロと表記しない事に注意)。しかし、男女には音域の違いがあり、普通に歌うと男性は女性の1オクターブ下になります。この自然な音程差がハーモニーの始まりになります。音程差は「8度」です(ド、レ、ミ・・・と数えていって8個目)。ここで、転回を考えると「1度」と「8度」どは同じ物です。同様に、何オクターブ上下しても同じです。よって、コードの中の構成音の音程差は、最大の「8度(オクターブ)」と最小の「1度(ユニゾン)」が同じ物となります。

こうして、ハーモニーは、最大かつ最小の音程差の「1度」と「8度」から始まります。ここから、何世紀もかけて異なる音程差を求めて変化して行きます。


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ハーモニーの歴史2 [連載読み物]

成り立ちの歴史からハーモニーをやんわりと解説するシリーズの続きです。

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第2回:別々の歌を歌えば...

02_Canon
パッヘルベルのカノンの冒頭
(チェンバロのパートは省略) 
3つバイオリンが2小節ずらして
まったく同じメロディーを演奏するカノン様式
コードでは語れないハーモニーの世界

メロディーにハーモニーを付ける場合、メロディーを演奏している人(普通、コーラスならソプラノ、オーケストラなら第一バイオリン)のパートが「主」となって、残りのパートは「従」となります。メロディー以外を演奏している人は、縁の下の力持ちで目立ちません。またまた、大昔に戻って音楽の成り立ちを考えると、これは不自然な事です。みんなが寄り集まって楽しく歌う場で従属関係があるというのはありえません。それどころか、楽譜のない大昔に全員がきっちり合わせて歌うのは困難であったはずです。

原初的な事を想像すると、他の人が歌うのに合いの手を入れたり、ワンテンポ遅れて歌ったり、はたまた適当なメロディーを入れてちょっかいを出したり...。などなど、一見いいかげんに脇で騒いでいる方が自然でしょう。このごく自然な行為が発展していくと、あるメロディーに対して違うメロディーを歌う行為に発展していきます。即興演奏によりメインのメロディーに歌や演奏をつけていくことが盛んに行われるようになっていきました。当初は、ハーモニーを意識していた訳ではないと思われますが、二つの音が重なれば時により奇麗に響く時とそうでない時が自然と現れます。特に理論や法則もないところで、いかに上手に響くように別の歌(メロディー)を重ねるかが職人芸となります。

このようなハーモニーの付け方は、ヨーロッパでバロック時代までに完成の域に達します。時代が進むと、単純に合いの手のように短いフレーズを入れるものばかりではなく、1曲丸まる違うメロディーが重なるようになり、パートも2つ以上の複数になっていきます。また、最初に出たメロディーをずらしたり、音程をひっくり返したり、前後を逆にしたりなどなど形式的にきっちりとした「模倣」を取り入れるようにもなってもいきます(これらはカノンやフーガと呼ばれ現在でも重要な編曲技法です)。これらの努力の中で、どうのような時に奇麗に響くかと言う法則が徐々に発見されていきました。このように同時にいくつものメロディーを演奏してハーモニーをつける方法はポリフォニーと言われ、全世界の音楽で聞かれます。

しかしながらヨーロッパのバロック後期に、譜面の書き方、楽器の改良などで大編成の演奏が可能になり、かつハーモニーの理論が分かりはじめると、ポリフォニーは全盛期を終えます。そして、現在一般的な方法、一つのメロディーに他のパートがハーモニーをつけていく方法にとって替わりました。これは、ホモフォニーと言い、現在、我々が聞いている音楽のほとんどがこれに当たります。

結局、現在ごく普通と考えられているホモフォニーによる作曲手法は、世界的にも歴史的にも少数派です。音楽は、ごく最近まで、世界中でポリフォニーによって作られてきました。そして現在のホモフォニーで作られた曲でも、名曲になればなるほど各パートの奥底にはポリフォニーが潜んでいます。つまりは、メインのメロディーパート以外も、綺麗なメロディーを歌うと言うことです。これは、「コード」と言う限られた概念では理解出来ません。ある歌に別の歌を重ねると言う音楽の本質であり、ハーモニーをつける際に最も重要な事です。

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ハーモニーの歴史1 [連載読み物]

今回から新連載、新企画で音楽の読み物です。作曲や演奏でなかなか悩ましいハーモニーですが、歴史を知ることで理解も深まるかもしれません。難しい解説書と違って簡単に書いてみます。では、第1回のスタートです。
 
第1回: コードとハーモニー、似て非なるもの
 
01_Symphony No.9 in D Minor
ベートーベン交響曲第9番の有名なメロディー
(弦楽器による最初の提示部)
コードにすると3小節続けてDと単調ですが、
実際のハーモニーはとても複雑で美しいです。
 
ハーモニーの歴史は、比較的最近から始まります。音楽の三要素の内、メロディーとリズムは、人類の誕生とともに最初からあったはず。物を叩く音がリズムとなり、人間が言葉を話す以前から叫びや泣き声に感情の抑揚が加わってメロディーとなり、音楽は自然と発生したと思われます。それに引き替えハーモニーは、大変後になって生まれました。大体、ルネッサンス時代以降です。そして、体系的なハーモニーを作ったのは、後にも先にもヨーロッパ音楽だけ。残りの世界では、職人的な世襲制度のもとにハーモニー的なものが受け継がれてきましたが、結局、体系的にまとまらず、即興演奏の域を出るものではありませんでした。現在、ヨーロッパの音楽が世界を制覇しているのは、このハーモニーの力と言っても過言でないでしょう。

ヨーロッパで体系的なハーモニーが生まれたのは、本来感情に支配されている複雑な音楽の各要素を「数学的」に割り切ってしまったことが勝因でしょう。この点は、メロディーを響きの悪い平均律に、リズムを単調な一定のテンポと拍子に割り切ってしまったのと同じ考えです。つまり、ヨーロッパでは、音楽の多くの感情的な要素を切り捨てて理論を持ち込んだために、より複雑なものを創造する事ができて大きく発展したと言えるでしょう。この過程を踏んでハーモニーをより「数学的」に表現するのようになったのがコードと言えます。余談ですが、栄華を極めたヨーロッパ音楽(=クラシック)は、ドビッシーによりハーモニーを、シューンベルグによりメロディー(音階)を、ストラビンスキーによりリズムを破壊されて終焉を迎えます。我々が聞いている多くの音楽は、その「終った音楽」のコピーでしかないかもしれません。

話を戻して、コードと言うのはメロディーを無視して、ある一瞬の和音構成を定型化したものです。これ自体は、音楽的ではなくて、数学の数式みたいなもの。本来は、和音を構成する各声部のメロディーが重なり合って生まれるハーモニーこそが重要です。そこには、各部のメロディーの流れや、楽器(あるいは声)などの音質の対比、演奏上の表現、楽器の数など多くの要素が絡んできます。楽譜(スコア)を重んじるクラシックでは、これらの各要素を見渡す事が容易ですが、(楽譜の苦手な)ポップス、ロック系のアレンジでは、ギターで「ポロン」と弾いても、オーケストラがフルパートで演奏しても、同じ「コード」として考えてしまいがち。これがコードを考える上で、最初の大きな間違いであると言えます。つまり、コードというのは、本来のメロディーから時間の流れを無視して、あくまで便宜的に音の重なりを表現しただけであって、すべてを表している訳ではないことを最初に、頭に入れておかなければならないのです。

結局、メロディーの重なり合いが最初にあって、コードそのものは、それを分析するために後から考えられた便宜的なものです。さて、難しい話はこれぐらいにして、次回から歴史の話に行きましょう。
 
「和声の歴史」オリヴィエ・アラン
目次

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音楽歴6 社会人、新人時代 [連載読み物]

音楽・ギターを始めた頃の昔話の続き、とりあえず最終回です。大学4年の夏に希望の会社1社だけ受けて就職活動はまったやらず、おかげで最後まで作曲三昧の学生生活でした。そして、無事に内定が出て春には社会人になりました。
 
 
社会人1年目は寮生活だったこともあり、作曲の機材も持ち込めず創作活動は停滞しました。ただ、ギターを持ち込んだので、寮の中で楽器好きが集まるようになりました。今までは一人で自宅で録音をしていましたし、ギターの演奏自体はさほど力を入れていませんでした。しかし、上手い人が弾いているのを間近で見ると刺激を受けてギターも練習しようと言う気になってきました。かなり遅咲きではありますが、このあたりからギター弾きとしての自覚も出てきたと思います。

そして、2年目から職場に配属され本格的に社会人になると同時にアパート住まいとなりました。ボーナスも含めて資金も潤ってきたので、シンセサイザーやエフェクターを買え揃え、本格的な録音を始めました。まだ、PCもシーケンサーもない時代だったので、シンセサイザーを録音するために(また独学ですが)鍵盤の練習も始めました。

仕事を覚えるのも大変な新人時代でしたが、若く体力もあったので徹夜の録音は当たり前で、相も変わらず引き籠りの作曲生活でした(今も変わりませんが)。遅くまで残業が日常的にある職場でもあり自由な時間が大幅に減りましたが、逆に集中して作業することを覚えたと思います。今でも、普段、頭の中でやりたいことを整理しておいて、土日の数時間に一気に作業をする習慣がついてます。

もう一つ転機がありました。2年目の会社の忘年会の余興としてバンドに誘われたことです。余興とは言ってもPAなども揃えた本格的なもので、当時、流行の曲を中心に、「TRUTH」や「六本木心中」などをやりました。ギターを始めて6年目で初めて本物のドラムやベースとの演奏、スタジオでの練習、そして観客の前での演奏を経験したわけです。実はやりたくなかったのですが、先輩に言われて仕方なく参加して、やってみたらバンドに目覚めました。

他人といっしょに演奏するのは初めてでしたが、スタジオでのバンドの1回目の練習で自分はギターが上手い事に気が付きました(手前味噌な話でスイマセン)。演奏と言えば引き籠っての録音ばかりだったので、譜面を見て初見で弾くとか、リズムに完全にピッタリ合わせて弾くとか、ノイズを出さずに完全にミュートをコントロールするとか、楽譜のように正確に速弾きする、、、とかとか録音のためには当たり前にできないとならないのですが、まあ、素人のバンドで合わせるレベルならそこまで練習する人は少ないようです。

話が脱線しましたが、その後、忘年会での演奏が縁でバンドに誘われて加入しました。レベッカ、プリンセス・プリンセス、リンドバーグあたりのコピーから初めて、後半は自分のオリジナル曲を中心にやってました。また、1stアルバムの製作にたどり着くなど、ドップリと音楽にのめり込むことになりました。

バンドも1stアルバムもかなりポップスよりのロックでしたが、聴く方は時代の流れに乗るように、よりハードな方向、スラッシュ・メタル、パワー・メタルも聴くようになり、音楽の好みがさらに広くなりました。まず、当時は避けて通れなかったメタリカ(Metallica)。ドラマチックな長曲に陶酔しました。当時、ライブも経験しましたが凄い破壊力でした。

"Master of Puppets" Metallica
 
 
 そして、当時、日本で最も人気のあったハロウィン(Helloween)。メロディック・スピード・メタルと言うジャンルは、自分も含めて多くの日本人がツボにはまる要素を持っています。2年前にもライブに行きましたが、当時の曲も新曲も同じようにカッコいいです。
 
"Walls Of Jericho" Helloween
 
 
と言うこと、で6回に渡ってお送りしたギターの初心者時代のお話は終わりです。この後は、バンドもやめ、独身生活も終わり、生活も大きく変わりますが、作曲はさらに深く極めていきます。続きはまたいつか、、、。


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音楽歴5 大学生時代2 [連載読み物]

音楽・ギターを始めた頃の昔話の続きです。今回はエレキの初心者ながらも作曲を始めた大学生活です。
 
 
春休みにエレキを購入し大学生活へ進みました。とは言っても授業の多い理工科系ですし、音楽とは関係ない部に入ったり(やり切れなくなって秋にはやめましたが)で、そうそう音楽三昧という訳にはいきませんでした。ただし、遠距離通学だったこともり、レンタル・レコードからカセットにダビングして、当時、出たてのウォークマンを買って、とにかく音楽を聴きまくってました。

当時は、MTVでもたくさん取り上げられるほどハードロック/ヘビー・メタルのブームで、同時にギタリストが脚光を浴びる時代でもありました。今思うと、タイムリーな時期にギターを始めたと思います。前回、取り上げたMSGやアイアン・メイデンは引き続き大好きでした。当時、ギタリストとしてはMSGのマイケル・シェンカーが好きで、彼が過去に在籍していたバンド、UFOは曲がバラエティーに富んでいてとても好みでした。

"Strangers In The Night" UFO
 
 
 ボン・ジョビ(Bon Jovi)もデビュー時から今でも好きなバンドです。アメリカ的なカラッとしたロックと哀愁の帯びたメロディーのバランスがとても良いです。 
 
Bon Jovi
 Bon Jovi
 
 ギタリストとしても作曲者としても好きなのがゲイリー・ムーア(Gary Moore)です。音楽性の広い人ですが、当時はブルース色を抑えたメロディー重視のハードロックをやっていて、自分の好みにピッタリでした。
 
"Corridors of Power" Gary Moore
 
 
いずれもギターバンドでありつつも曲重視で聞いてました。エレキもそれらの曲を中心にコピーの練習をしてました。
 
そして、エレキを始めて2年目(大学2年生)から念願の作曲を始めます。曲と言っても、始めの10曲ぐらいは、今聴くと「何これ?」と言った感じです。当然、まだエレキ初心者だったのでろくに弾けませんし、作曲はもっとどうにもなりませんでした。ただ、エレキの練習にもなったし得るものは大きかったと思います。当時の練習方法は、初心者の頃のギターの練習方法として、以前のブログに書いたのでご覧ください(こちらです)。

当時、曲を作りたいと悶々とした日々を送りつつも楽器の初心者ではどうにもらなず、逆にかなりエレキ、ハードロックへ傾倒してました。そして、ハードロックをやるにはストラトキャスターではイマイチと思い始めました。今のようにアンプ・シミュレーターなどがある時代ではないので、シングルコイル・ピックアップのストラトでは、ハード・ロック固有の歪んだ音を出すのは難しかったのです。

そこで、エレキを始めて2年目に、ハムバッキング・ピックアップのギターを買うことにしました。悩まずマイケル・シェンカーが使っているのと同じフライングVを買うことに決め、また新宿の石橋楽器へ行って購入しました。マイケル・シェンカー・モデルの白黒のフライングVを買うつもりだったのですが、また、店頭展示処分品4割引きの1958年製コピーモデルを買ってしまいました(こちら)。

このギターは、その後、不注意でネックを曲げてしまうまでの7、8年間メインのギターとして使ってました。その後は録音のみに使ってます。最近でもヘッドを折ってしまうなど何度も事故にあってますが、いまだにフェイバリットなギターです。


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音楽歴4 大学生時代1 [連載読み物]

音楽・ギターに目覚めた頃の昔話の続きです。ジャーニー、マイケル・シェンカー(MSG)とハードロックとエレキに目覚めて悶々としながらも希望校を1つ受けたらめでたく受かり早々と大学受験を終えました。そして、待ちに待った卒業後の長い春休み。まずはエレキの購入です。
 
 
ネット等もない時代、まずは地道にカタログを集めました。当時、日本のメーカーは(ライセンスもなく勝手に)ストラトキャスターやレスポールのコピーを売っていた時代で、値段を考えるとそれしかありませんでした。当時は、誰のファンでもなくバンドをやる気もなかったので、無難なストラトキャスターのコピー品に決めました。エレキ経験のある高校の同級生に頼んで新宿の石橋楽器へいっしょに行ってもらい、めでたく初めてのエレキを購入しました。結局、カタログで決めたモデルは買わずに、店頭展示処分品4割引きのジェフ・ベックモデルになりました。曲が作れれば良いのでこだわりがなく値段で決めてしまったのですが、いまだに使っているフェイバリットなギターとなりました(こちら)。

前回書いたように、クラシック・ギターの時、一人では上手く習得ができなかったので、一緒に行ってもらったついでに同級生に1回だけ手ほどきを受けました。その時、彼が教材としてカセットを持ってきたのが、アイアン・メイデン(Iron Maiden)の2作目"Killers"でした。2曲譜面をコピーして持ってきてくれましたが、今思うと初心者がやるような曲ではなかったですね。速いし複雑だし。

"Killers" Iron Maiden
 

ともあれ、ここでアイアン・メイデンを聴いたことが転機となりました。アイアン・メイデンはハードロックがヘビーメタルに姿を変えた時代のバンドですが、歌にパンクの要素もあり、当時としては暴力的なまでに過激な曲をやってました。ジャケットもとてもエグイですし、ポップス系を聴いていた自分としては、あり得ないジャンルだった訳です。同年代のロック好きは、大抵、レッド・ツェッペリンやディープ・パープルなどのハードロックを通過してますが、自分はポップスからいきなりメタルへ行ったわけです。

アイアン・メイデンに興味を持った理由はギターの演奏ではありません。その複雑でドラマチックなアレンジが気に入ったのです。やはり、ヨーロッパのバンド固有のものでクラシックのエッセンスが下地にある気がします。その後もギターバンド的なのはあまり興味が湧かず、曲やアレンジ力の高いバンドを聴くようになります。

話は戻ってエレキの習得ですが、その後は念願のジャーニー、MSGの譜面を買って黙々とコピーを練習しました。簡単な教則本も1冊買いましたが、基本的には自己流で1年ぐらいひたすらコピーで基本的な習得に励みました。作曲を始めるのはもうすぐです。続きは、またいつか。


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音楽歴3 高校生時代2 [連載読み物]

音楽・ギターに目覚めた頃の昔話の続きです。前回、高校2年生でジャーニーのアルバム"Escape"を買って天才ギタリストであるニール・ショーンの演奏でエレキ・ギターに目覚めました。
 

実は、この頃に、少しだけギターの練習を始めています。この何年か前の小学生の頃に、買ったきり使われてない安物のクラシック・ギターとアコギを親戚がくれました。その時は興味がなかったので、しまったまま放置してました。ギターに興味が出たので引っ張り出したのですが、すでにネックも曲がっており酷い状況でした。多少は状態がまともなクラシックの弦を張り替え、教則本を1冊買って練習を始めました。

しかし、教えてくれる人もなく、弦高が1cmもあるようなボロボロのギターで、しかも難しいクラシック奏法では弾けるわけもありません。何とか、"禁じられた遊び"の簡単バージョンが弾けれるようになったぐらいで挫折しました。この後、クラシック・ギターは自分的にはトラウマになってしまいます。練習を再開するのは、ずっと先、これから30年後です。

話を戻してエレキですが、興味を持ってからあらためてFMラジオを聴くとハードロック系ではエレキが主役だと分かってきました。ただし、典型的なハードロックは、スピードやパワーのごり押しで好みではありませんでした。それらの中で、他のバンドとは違うと感じて自分が気に入ったのがマイケル・シェンカー・グループ(MSG)でした。高3の時に2枚目のアルバムが出て、FMラジオで2、3曲聴いて、速攻でアルバムを買いに行った記憶があります。

Michael Schenker Group
Michael Schenker Group 

マイケル・シェンカーが弾くメロディアスなギターの素晴らしさは言うまでもないですが、曲をとても気に入りました。曲にブルース的な泥臭さがなく、欧州的な哀愁のあるメロディーが好みでした。このような曲を作りたいという作曲への思いもさらに強まりました。

ここに来て音楽に対する思いが爆発的に目覚めたと思います。ジャーニーと合わせて、とにかく聞きまくってました。まさに青春、どうやったらもっと音楽に近づけるのか、もがき苦しみどうにもならない状態だったと思います。とは言っても高校3年生。受験が来てしまいます。実行に移るのは春まで待たなければなりません。続きはまた、、、。


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